【ジャパニーズウイスキー作りに情熱を燃やした、鳥井信治郎と竹鶴政孝】

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ジャパニーズウイスキーの歴史を語るにおいて、鳥井信治郎と竹鶴政孝の二人の名は、欠かす事は出来ません。
鳥井信治郎はサントリーの創業者で、竹鶴政孝は、ニッカウヰスキーの創業者ですが、
サントリーとニッカウヰスキーは、ジャパニーズウイスキーの歴史そのものと言って良い存在です。
幕末以来、日本人の間で、洋酒に対する需要が急速に高まって行きましたが、やがて、国産の洋酒を作ろうという機運が高まり、
まずは、鳥井商店(後の寿屋→サントリー)を創業した、鳥井信治郎が、1906年、初の国産ワインである、赤玉ポートワイン(現・赤玉スイートワイン)を大ヒットさせ、
我が国における、国産の洋酒市場の開拓に、先鞭を付ける事に成功します。
そして、次なる目標を、ジャパニーズウイスキー作りに定める事となりました。
一方、摂津酒造という会社の社員だった竹鶴政孝は、会社の命により、1918年、ウイスキー作りの研究のため、スコットランドに渡ります。
そこで、ウイスキー作りのノウハウと、生涯の伴侶となる女性・リタを得て、1920年に日本に帰国した竹鶴政孝は、
「ジャパニーズウイスキーを作る」という、大目標を掲げ、
ジャパニーズウイスキー作りに、一生を捧げる事となります。
1922年、摂津酒造を退職した竹鶴政孝は、翌1923年、自分と同じく、ジャパニーズウイスキーを作るという思いを持つ、
鳥井信治郎に招かれ、寿屋へと入社しました。
鳥井と竹鶴は、時に激しくぶつかり合いながらも、ジャパニーズウイスキー作りに邁進し、
1929年、初の国産ウイスキーである、「サントリー白札」(現・サントリーホワイト)の発売に漕ぎ着けました。
その後、竹鶴は鳥井と袂を分かち、1934年、寿屋を退職し、大日本果汁(後の、ニッカウヰスキー)を創立、
自らの理想のウイスキー作りのため、北海道の余市に、本格的な蒸留所を設立し、
やがて、次々に、大ヒット商品を生み出し、ジャパニーズウイスキーを確立して行きました。

また、竹鶴が去った後のサントリーでも、トリスウイスキーなど、独自のジャパニーズウイスキーを開発し、ますます、その地位を固めます。
このように、鳥井信治郎と竹鶴政孝は、ジャパニーズウイスキー作りに、偉大な足跡を残した、ジャパニーズウイスキー作りの偉人であると言って良いでしょう。